BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

電子書籍特典 電子化記念スペシャル対談 「JUNEからBLへ ‘心の不良″だったあの頃 翻訳家・柿沼瑛子×著者・溝口彰子」収録!
いま、BLに何が起きているのか?女性たちを虜にする快楽装置=BLの歴史と本質に迫る画期的評論。
男性同士の恋愛を軸にした一大エンタテインメント・ジャンルであるBL(ボーイズラブ)。
BLは、おもに異性愛女性が作り手・読み手であるにもかかわらず、近年、現実よりもホモフォビア(同性愛嫌悪)や異性愛規範、ミソジニー(女性嫌悪)から自由な作品が生まれている。
本書は、BLの歴史をたどりながらその謎に迫り、作品や作り手・受け手の意識、社会との向き合い方がどのように変化してきたかを、作品分析によって明らかにする試みである。
三浦しをん氏、絶賛。
「‘あらゆるひとにとって自由で居心地のいい社会’のありかたを、BLは追求し、提示しつづけている。
その事実を、愛をもって冷静に分析した論考。
本書を読んで、これからもBLを愛していこうと改めて決意しました!

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コメント

  1. user より:

    私はシスジェンダー女性で異性愛者である。

    商業もののBL作品も好きだし、二次創作におけるBL作品も好きだ。

    だから自分の好きなものがどう生まれ、どう変化して今日の私の手元に届いたのかが知りたかった。

    正直、世の中に蔓延る家父長制、ミソジニー、ホモフォビア、女性蔑視に疲れ果てている。

    それらがBLの世界にはあまり出てこない。

    あまり、というだけでまったく出てこないわけではないが、世に出る前に編集などの作者と作品の間に他者が介入する商業BL作品は、先述した疲れ果てる要素から距離を置いていたり、実際に出てきたとしても現実よりもよっぽど優しい。

    BLじゃない、登場人物が異性愛者前提の作品だとまだそれにぶち当たることがけっこう多い。
    楽しむための映画や読書なんかが一転して自分の心を曇らせるものになってしまうのだ。

    商業BLはその確率が低い。
    だからこそ安心して手に取れる。
    楽しめるということがある。

    それらのBL作品のことを「進化系BL」と本書では呼んでいる。

    そのようにBL作品が進化するために何があったのかという点が私には非常に興味深い内容だった。

    実際にゲイである人たちからの目線を気にするようになったからこそ、起こった進化だと本書で書いていて、かなり感動した。

    自分たちが創作したもの、楽しんでいるものが誰かを傷つけているかもしれないと自覚したときに、「何が悪いの?」と開き直るのではなく、新しい方向性を考えてそれを作品に反映していくという姿勢は素敵だと思った。

    よくTwitterでは広告などに使われる表現のあれこれを巡って論争が起きることがあるが、開き直っている人というか、なぜそう言われるのか何がどう当事者を傷つけているのかを突っぱねている人も見かける。

    BL創作者、愛好家の先人たちの誠実な姿勢にはあっぱれとしか言いようがない。

    BLが好きという人はBLで描かれる世界が好き、という人も多いと思う。

    そういう人たちにはぜひ読んでほしい本だった。

    また宙出版からも『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』が2017年に出ているので、こちらも読んでみたい。

    BLの何がそんなに私を虜にするのかがわかったし、BL作品だけではなくゲイ映画等の話も取り上げられておりエンターテイメントにおける同性愛の描かれ方についてとても勉強になった。

    これは2015年出版で、今から8年も前だ。
    出版当時とまたBLは変化している。

    オメガバースがなぜここまで隆盛を極めているのかについてもぜひ溝口先生に分析していただきたい。

  2. user より:

    インターネット上ではたびたび「BLはゲイ差別ではないか」という批判が起こり、その度にBL愛好家たちは「どうすればBLが差別ではなくゲイフレンドリーな社会づくりに与することができるか」を考え、応えようとしてきた。
    本書にも詳しく書かれている”やおい論争”は1992年のできごとだが、この論争は2000年代、そして現在になってもいたる場面で行われている。
    読みながら、BLについて批判的に議論を行いたい人は、まずこの本を一読してからBL愛好家たちに話をしてほしいと思ってしまった。
  3. user より:

    いくつかのやおい論は読んだことがあります。
    しかし、どれも釈然としなかった。
    そこに論じられていることは、確かにただしいかもしれないが、私の実感からは遠く、もう一歩踏み込んで欲しいと思うことばかりであった。
    その点この本は、やおい論に一石を投じ、新たな理論を切り開いている感がある。
    特にジェンダー規範、家父長制と結びつけた議論ら、常々わたしが感じていることを明快にしてくれた。

    BL進化論というだけあって、昨今の進化したBLの価値概念に非常に肯定的な議論が多い。
    特に、著者自身が同性愛者であるからか、同性愛の取り扱いそのものに関するセンシティブさが見て取れる。

    しかし、わたしはこの本を読みながら、本当は、BLとはそういう家父長制やミソジニーから解放されたオアシスではないということに、思い至ってしまった。
    BLとは、女性が男性を性的に搾取するための最も有力な手段である。
    男性を性的に搾取するためには、世の男性がやるように、自分と同性が対象を搾取すれば最も効率的かつ合理的なのに、女性はそれをしない。
    BLでは、男性の性的搾取を、男性に任せている。
    それはなぜか。
    自分たちでは男性を搾取できないという劣等感、自己蔑視に苛まれているからである。
    ここにはとてつもないミソジニーの影があり、わたしは、BLとはミソジニーの解放とはむしろ逆で、ミソジニーにがんじがらめになった存在なのではないかと考える。
    ミソジニーにがんじがらめになった女たちの反射区として発展してきたのではないか?自己蔑視そのものなのではないか?
    とまあ、こんなことを考えながら読んでいた。
    男女の非対称性については、あまりにも考えなければならないことが多い。

  4. user より:

    異性愛者やレズビアンの女性がBLで男性を性的消費することの是非は常々問われてきたが、やはり明確な答えはなく、表象/現実/ファンタジーのせめぎ合いの中で絶えず考えていくしかないぽい。
    『JUNE』をはじめとするBLの進化の歴史については、結構勉強になった。
  5. user より:

    「BLをどうして自分が読みたいと思うのか」「BLって実際にいるゲイの方々を傷つけたりしていないんだろうか?」「日本で放映されてるBLをドラマにした映像作品はなかなかに繊細な立ち位置にあるんじゃない?」と思ったので、昔々に買っていまだに読んでいなかった本書を手に取った。
    積読って家の床を壊しそうだし買って放ってしまう罪悪感はあるのだけど、自分が読みたいと思ったものって高確率で数年後の自分を救うことがあるので、やっぱり積読はやめられない。

    今回この本を手に取ろうと思った理由は、先日大ブレイクした「40までにしたい10のこと」を見ていた私が上記の疑問(昔から感じていた疑問ではあるが、今回改めて強く思った)を解消できるかもしれないと思ったからだ。

    「40までにしたい10のこと」は深夜帯のBLドラマなのに、主演の風間さんとその恋人役である庄司さんの名演技によって瞬く間に東テレのドラマ人気のトップに躍り出た。
    原作も読んだことがあり、BL漫画としてとても好きだったので、ドラマも見てまんまとハマり、最後までリアタイで完走した。

    完走した。

    けれど、そこでずっと抱えていたモヤモヤがあった。

    まず、BLの商業漫画はそもそも想定されている読者層がBLを好きな女性であるからして、BL漫画の中で繰り広げられるアレコレはほぼファンタジーであると割り切って読める。
    それでも実際に同性愛者が現実にいて、その性愛を我々は消費しているんだ、ってことは心に銘じて読まないといけないと、よく思いながら読んでいる。

    一方で、今回のドラマは、主演の風間さんが、他のドラマにもでている(大河にも出ている)超有名人であり、ということは、あのドラマを見る視聴者層はBL漫画以上に広く定められている。
    例え深夜帯でも、彼をずっと応援し続けているBLというものを知らない若しくは好んで読まないあるいは好きではない、あるいはそもそも当事者の方々も見るわけだ。

    そしてドラマは生身の人間が演じる分、受け取る側もかなりの質量を胸の落とし込まれるはずだし、有名な俳優を抜擢するのであれば、それはきちんと現実に落とし込まれたリアルなクローゼットゲイ同士の葛藤と恋愛が描かれるんじゃないか?と私は結構思っていた。

    普段BLドラマを見ないから、もしかしたら多大な期待だったのかもしれない。

    見た感想として、主演二人の演技もドラマの演出も最高に最高のもので、二人を含めた作りての方々がものすごい熱量で挑んだことは伝わってきた。
    主演二人は大好きになったし、若手の庄司さんの方はファンクラブに入ってしまったくらいだ。

    でも、話の流れに納得がいかなかった。
    特に風間さん演じる十条雀さんが、原作よりもずっと仕事人間で仕事上では周りから上司として慕われている描写があり、彼がゲイとして一人で40まで過ごしてきた人間であることがきちんと描かれているにも関わらず、会社の中で年下ゲイに抱きつかれてしまう隙があるところとか、年下の彼を突き放す覚悟を持ったのに、結局それが年下彼との思い出で揺らいで走り出してしまったり、仕事の描写が若干雑だったり、なんというか、結局のところ異性愛にありがちな、手を引かれなきゃ新しいことができない女と、ずかずかとそこに入り込んでくる男、という描写に最終的に落とし込まれてしまった感が非常に残念で、かつ日本の大企業なんていまだにホモフォビアの巣窟のような場所だろうに、そういう描写が田中の偏見に満ちた言葉だけに集約(あれも結構雑なセリフだと思う)されてしまっているのもなんだかな、という感じだった。

    つまりあまりリアリティがなかった。

    そこで私は冒頭の疑問を強く抱いたのだ。
    ドラマというお茶の間の誰にでも届いてしまうもので、商業BLで女性が消費しているBLをそのままにお出ししてしまう、しかも最近のBLはもっとリアルに接続したものが多くあるのに、それを引き戻してしまうようなドラマを流してしまったのはどうしてなんだ?そもそもクローゼットゲイの二人の恋愛をこんなふうにきゃっきゃと消費することを現実にいる同性愛者はどう思うんだろうか?とか、BLって結局どんな立ち位置でどんな人に消費されてるものなんだろ、とか。

    そしてこの本、この本を読んで上記の疑問になんとなく答えが見えたような気がした。
    BLがそもそもは異性愛規範や家父長制、もとい自分が性的対象から外れた場所で性愛を女性が主体性をもって楽しめるものとして存在しているということ。
    (これは本当に説得力がある)そしてさらに、最初のころのBLは、そうはいえど異性愛規範の範囲で止まっていたしホモフォビアが内面化されたものが多かった(女性が女性のおかれている状況を客観的に見ていた)が、そこから、現実の世界に接続され、内面化されたホモフォビア、ミソジニー、家父長制から解き放たれ、同性愛者への眼差しがかわり、今のBLは現代社会で抑圧されている女性も含めたマイノリティが、その先を望んで希望として描いているものが多く、だからこそ作者が「進化系BL」と呼んでいるのだということ、上記の内容が軽妙な語り口でとてもわかりやすく描かれていて、少なくとも私がドラマを見て抱いた疑問の半分くらいは解消された気がする。

    男性同士の性愛を愛でること、これら異性愛規範や家父長制やミソジニーに抑圧された女性の駆け込み寺で、そこで癒されているのだということ、ここを肯定的に考えられるのはとても自分にとってもいいことだ。

    ただ、そこで癒されたあとに行くべきところがどこなのか、駆け込み寺の尼となって駆け込んでくる人々を癒すのか、寺から外に出て現実に苦しむ人たちを救うために奔走するのか、選択肢は色々ある。
    そういうことを知ることができたのもとても人生にとって大きいと思う。

    そしてドラマについては、残念だな、という気持ちを抱いていてもいいんだな、というのもわかってよかったし、BLドラマが日本の若手俳優の登竜門的な場所になっているのであれば、そこにもきちんと現実との接続性をもって、一歩先の何かを脚本によって描いてもらえたら嬉しい限りだなと思った。

    この本は2015年に書かれたものだから、作者の方が今をどう見ているのか、他の本を読んでみたいと思う。

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