
電子書籍特典 電子化記念スペシャル対談 「JUNEからBLへ ‘心の不良″だったあの頃 翻訳家・柿沼瑛子×著者・溝口彰子」収録!
いま、BLに何が起きているのか?女性たちを虜にする快楽装置=BLの歴史と本質に迫る画期的評論。
男性同士の恋愛を軸にした一大エンタテインメント・ジャンルであるBL(ボーイズラブ)。
BLは、おもに異性愛女性が作り手・読み手であるにもかかわらず、近年、現実よりもホモフォビア(同性愛嫌悪)や異性愛規範、ミソジニー(女性嫌悪)から自由な作品が生まれている。
本書は、BLの歴史をたどりながらその謎に迫り、作品や作り手・受け手の意識、社会との向き合い方がどのように変化してきたかを、作品分析によって明らかにする試みである。
三浦しをん氏、絶賛。
「‘あらゆるひとにとって自由で居心地のいい社会’のありかたを、BLは追求し、提示しつづけている。
その事実を、愛をもって冷静に分析した論考。
本書を読んで、これからもBLを愛していこうと改めて決意しました!
」


コメント
質の高い文化論を読みたい人におすすめの一冊。
BLを知らない人にもわかるように書かれ、読めばBLのことが一通りわかる。
作中の例示作品は商業オリジナルが主だが、二次創作もこの論を適用できる。
何より卑屈さはなく、愛情を込めてBLを語る本。
積読って家の床を壊しそうだし買って放ってしまう罪悪感はあるのだけど、自分が読みたいと思ったものって高確率で数年後の自分を救うことがあるので、やっぱり積読はやめられない。
今回この本を手に取ろうと思った理由は、先日大ブレイクした「40までにしたい10のこと」を見ていた私が上記の疑問(昔から感じていた疑問ではあるが、今回改めて強く思った)を解消できるかもしれないと思ったからだ。
「40までにしたい10のこと」は深夜帯のBLドラマなのに、主演の風間さんとその恋人役である庄司さんの名演技によって瞬く間に東テレのドラマ人気のトップに躍り出た。
原作も読んだことがあり、BL漫画としてとても好きだったので、ドラマも見てまんまとハマり、最後までリアタイで完走した。
完走した。
けれど、そこでずっと抱えていたモヤモヤがあった。
まず、BLの商業漫画はそもそも想定されている読者層がBLを好きな女性であるからして、BL漫画の中で繰り広げられるアレコレはほぼファンタジーであると割り切って読める。
それでも実際に同性愛者が現実にいて、その性愛を我々は消費しているんだ、ってことは心に銘じて読まないといけないと、よく思いながら読んでいる。
一方で、今回のドラマは、主演の風間さんが、他のドラマにもでている(大河にも出ている)超有名人であり、ということは、あのドラマを見る視聴者層はBL漫画以上に広く定められている。
例え深夜帯でも、彼をずっと応援し続けているBLというものを知らない若しくは好んで読まないあるいは好きではない、あるいはそもそも当事者の方々も見るわけだ。
そしてドラマは生身の人間が演じる分、受け取る側もかなりの質量を胸の落とし込まれるはずだし、有名な俳優を抜擢するのであれば、それはきちんと現実に落とし込まれたリアルなクローゼットゲイ同士の葛藤と恋愛が描かれるんじゃないか?と私は結構思っていた。
普段BLドラマを見ないから、もしかしたら多大な期待だったのかもしれない。
見た感想として、主演二人の演技もドラマの演出も最高に最高のもので、二人を含めた作りての方々がものすごい熱量で挑んだことは伝わってきた。
主演二人は大好きになったし、若手の庄司さんの方はファンクラブに入ってしまったくらいだ。
でも、話の流れに納得がいかなかった。
特に風間さん演じる十条雀さんが、原作よりもずっと仕事人間で仕事上では周りから上司として慕われている描写があり、彼がゲイとして一人で40まで過ごしてきた人間であることがきちんと描かれているにも関わらず、会社の中で年下ゲイに抱きつかれてしまう隙があるところとか、年下の彼を突き放す覚悟を持ったのに、結局それが年下彼との思い出で揺らいで走り出してしまったり、仕事の描写が若干雑だったり、なんというか、結局のところ異性愛にありがちな、手を引かれなきゃ新しいことができない女と、ずかずかとそこに入り込んでくる男、という描写に最終的に落とし込まれてしまった感が非常に残念で、かつ日本の大企業なんていまだにホモフォビアの巣窟のような場所だろうに、そういう描写が田中の偏見に満ちた言葉だけに集約(あれも結構雑なセリフだと思う)されてしまっているのもなんだかな、という感じだった。
つまりあまりリアリティがなかった。
そこで私は冒頭の疑問を強く抱いたのだ。
ドラマというお茶の間の誰にでも届いてしまうもので、商業BLで女性が消費しているBLをそのままにお出ししてしまう、しかも最近のBLはもっとリアルに接続したものが多くあるのに、それを引き戻してしまうようなドラマを流してしまったのはどうしてなんだ?そもそもクローゼットゲイの二人の恋愛をこんなふうにきゃっきゃと消費することを現実にいる同性愛者はどう思うんだろうか?とか、BLって結局どんな立ち位置でどんな人に消費されてるものなんだろ、とか。
そしてこの本、この本を読んで上記の疑問になんとなく答えが見えたような気がした。
BLがそもそもは異性愛規範や家父長制、もとい自分が性的対象から外れた場所で性愛を女性が主体性をもって楽しめるものとして存在しているということ。
(これは本当に説得力がある)そしてさらに、最初のころのBLは、そうはいえど異性愛規範の範囲で止まっていたしホモフォビアが内面化されたものが多かった(女性が女性のおかれている状況を客観的に見ていた)が、そこから、現実の世界に接続され、内面化されたホモフォビア、ミソジニー、家父長制から解き放たれ、同性愛者への眼差しがかわり、今のBLは現代社会で抑圧されている女性も含めたマイノリティが、その先を望んで希望として描いているものが多く、だからこそ作者が「進化系BL」と呼んでいるのだということ、上記の内容が軽妙な語り口でとてもわかりやすく描かれていて、少なくとも私がドラマを見て抱いた疑問の半分くらいは解消された気がする。
男性同士の性愛を愛でること、これら異性愛規範や家父長制やミソジニーに抑圧された女性の駆け込み寺で、そこで癒されているのだということ、ここを肯定的に考えられるのはとても自分にとってもいいことだ。
ただ、そこで癒されたあとに行くべきところがどこなのか、駆け込み寺の尼となって駆け込んでくる人々を癒すのか、寺から外に出て現実に苦しむ人たちを救うために奔走するのか、選択肢は色々ある。
そういうことを知ることができたのもとても人生にとって大きいと思う。
そしてドラマについては、残念だな、という気持ちを抱いていてもいいんだな、というのもわかってよかったし、BLドラマが日本の若手俳優の登竜門的な場所になっているのであれば、そこにもきちんと現実との接続性をもって、一歩先の何かを脚本によって描いてもらえたら嬉しい限りだなと思った。
この本は2015年に書かれたものだから、作者の方が今をどう見ているのか、他の本を読んでみたいと思う。
BLって、ジェンダーフリーな社会のパイオニアなんじゃないかな?!
って。
’’
考察好きなBL愛好家たちはたぶん誰でも自分に対し問いかけるであろう、この命題。
私も折に触れ考えるので、その解を求めて手に取った。
本書の著者はレズビアンでBL愛好家。
どうやらレズビアンのBL愛好家は珍しくないらしい。
BLはセクシュアリティの問題と不可分だと私も思うのだけど、やはり自分と切り離された異性同士の関係構築を愛好家たちは見たいと感じるのは共通のようだ。
著者はBLの歴史をひもときながら様々な考察をされてるんだけど、「究極のカップル神話」って概念が個人的にしっくりきた。
BL愛好家って、色んなタイプがいると思うんだけど、私自身の嗜好パターンに当てはめて考えると、BLにおいて必ずしも「セックスシーン」を必要としない人間である(むしろ邪魔と感じる場合も)。
それよりも「相手も自分と同じ男なのになぜ」とか「今は両想いだけど一緒にいるとあいつの将来が・・・」とか悩み葛藤しながら関係を探る登場人物たちが見たい。
これってセクシュアリティとかじゃなくて障害があるけどそれを乗り越えてただ一人を愛する「究極のカップル(=関係性)」が見たいんだよなあきっと。
そういう意味では自分の中に「ホモフォビア」がなくはないのかも。
と本書を読んで発見した。
あと「ヴァーチャル・セックス」って概念が面白かった。
私はオンオフ含め他のBL愛好家たちとコミュニケーションはしてないけど、結局ネット上やSNSで関係に対する「萌え」を吐き出してはいるわけで、それってコミュニケーションに対する欲望であり、嗜好や妄想の交換(=ヴァーチャル・セックス)を求めてるってことよなあ、と。
あと、’’男性キャラがBL愛好家女性にとって「他者」ではなく「自身」であることは限りなく自然化されている’’(引用)にすごく納得できるものがあった(私はやはりBL愛好家なのだなあと改めて感じた)。
近年、BLがBL愛好家の枠にとどまらず普及し、市民権を得始めているのは(私自身はそう感じる)、著者が述べるようなジャンルが成熟し’’進化形BL’’(=現実よりもゲイ・フレンドリーな世界観や、女性性、男性性のあり方を問うようなBL作品)が数多く出てきてるからなのかもなあ。